東京高等裁判所 昭和41年(ネ)488号 判決 1968年5月06日
控訴人 亡坂田庄太郎遺言執行者西田米蔵
右訴訟代理人弁護士 三森淳
被控訴人 株式会社富士銀行
右訴訟代理人弁護士 松山全一
右補助参加人 坂田太郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
<全部省略>
理由
一、当裁判所の判断は、次の点を附加補充するほか、原判決理由記載と同一であるからこれを引用する。当審における証拠調の結果によっても、原審の認定を左右するに足らず却ってその正しさを強めるものである。
二、(1) 補助参加人は、本件遺言書作成後亡父は右遺言書の存在について一言も相続人である補助参加人に申し述べなかったから、右遺言書は亡父の真意により取り消されたものであるかのように主張するが、遺言書の存在について一言も申し述べなかったという事実のみから直ちに遺言者には遺言を取り消す真意があったと即断することができないのは勿論遺言を取り消すには民法の定める遺言の方式に従ってすることを要するところ(民法第一〇二二条)、本件遺言者が民法の定める遺言の方式に従って本件遺言を取消したとの点については何等の証拠もないから、補助参加人の右主張は理由がない。
(2) 債権の準占有者に対する弁済が有効なためには、弁済者が善意であることのほか、準占有者が弁済を受領する権限があると信ずるについて過失のないことを要する。そこで本件預金を払戻すについて、被控訴人に過失があったかどうかについて考察する。<証拠省略>を総合すると、亡坂田庄太郎とその長男である補助参加人とは予てから不仲であり、庄太郎は昭和三五年頃から吉祥寺の寿美病院に、その後一時同じく吉祥寺の秀島病院に、昭和三九年七月二〇日頃から同年八月三一日死亡するまで八王子の永生病院に入院していたが、補助参加人が居住していた武蔵野市所在の建物およびその敷地の帰属について補助参加人との間に紛争を生じ、訴訟となったが(その訴訟における坂田庄太郎の復代理人は控訴人であった。)昭和三七年九月二七日補助参加人が庄太郎に金三〇〇万円を支払って売買名義の下に右建物およびその敷地の所有権を取得する旨の裁判上の和解が成立し、補助参加人はその頃右金三〇〇万円を庄太郎に手交した。坂田庄太郎は右金三〇〇万円を入院費その他の自己の生活費に充てることとし、とりあえず内金一〇〇万円を当座の費用として留保し残金二〇〇万円を富士銀行井の頭支店に預金するとともに、(同支店には控訴人の事務所に勤務する弁護士浅野繁が右金二〇〇万円を持参した。)万一の場合の遺産の処置について控訴人と相談したうえ、同年一一月一七日前記寿美病院二階の室で控訴人および前記浅野繁弁護士立会のもとに、遺言からまず入院費その他の費用を支払いその残金から高木基計ほか九名にそれぞれ金二万円ないし金五万円を贈与する旨並びに控訴人および右浅野繁をその遺言執行者に指定する旨の本件遺言書(甲第一号証の二)を作成し、なお控訴人は右遺言書作成後同室で寿美病院の病院長に会い庄太郎に万一のことがあったときはよろしく頼む旨依頼し、同病院長も右遺言書があることと控訴人がその遺言執行者に指定されている事実を知っていたこと、また右高木基計は右寿美病院に同時に入院していた者で入院中から庄太郎と親しくなりその面倒を見ており、右遺言書のあることとその遺言執行者は控訴人であることと知っていたこと、その後庄太郎は八王子の永生病院に転院したが、控訴人は右転院後永生病院には一度も行ったことはなく、また被控訴人あるいは補助参加人に対して右遺言があることと自己がその遺言執行者に指定されたことを通知しなかったこと、従って永生病院および被控訴人関係の者は右事実を知らなかったこと、他方補助参加人も本件遺言書の存在を全く知らずしたがって昭和三九年九月一日本件預金の払戻を請求した際被控訴銀行の担当者の質問に対して遺言は存在しないと述べたこと、同月二〇日頃同月一八日付控訴人からの内容証明郵便による通知書によりはじめて遺言の存在および控訴人がその遺言執行者に指定された事実を知るに至ったこと、おおむね以上の事実を認めることができ、証人高木基計の証言中右認定に反する部分はたやすく信用することができない。
ところで本件のように預金者の相続人から預金の払戻を請求した場合、銀行側としては当該預金の払戻を請求した相続人が正当な相続人であることを確認するほか、特段の事情のない限り預金者である被相続人の遺言の有無については、払戻の請求をした相続人に対して一応確かめれば足り、それ以上特別の調査をする義務はなく、これをしないでも払戻について過失があるということはできないと解すべきである。けだし現在わが国社会の事情において、死亡者が遺言をするということはむしろ例外の事例に属することは顕著な事実であるから、多数の預金を扱う銀行としては遺言の存在についてこれを疑わしめるに足る特段の事情のない以上、払戻を請求した相続人について遺言のないことを確めたときは速にその払戻をするべきであり、遺言のある少数例外の場合を考慮してそれ以上の調査をすることにより多数一般の場合の預金払戻に遅延を来すようなことはこれを避けるべきだからである。若し遺言執行者が遺言の存在および遺言者に銀行預金があることを知ったときこれを当該銀行あるいは遺言者の相続人に通知することは、一挙手一投足の労によって為し得るものであるから、遺言のある少数例外の場合については遺言執行者の方で右の処置に出ることを信義則上妥当とすべく、このような通知のない以上銀行側としては遺言の有無について特別の調査をしなくても預金者の相続人に対し預金を払戻すについて過失があるということはできない本件においては前認定のとおり、被控訴銀行の担当者は預金者の唯一の相続人である補助参加人について遺言のないことを確めた上で本件預金を払い戻したのであり、また遺言執行者である控訴人から遺言の存在および控訴人がその遺言執行者になったことについて何等の連絡もなかったのであるから、遺言の存在についてそれ以上特別の調査をすることなく払戻をしたことについて過失があるということはできない。なお、<証拠省略>によれば亡坂田庄太郎の住所は右水生病院内となっており、<証拠省略>により認め得る補助参加人の当時の住所と異るが、このように親子別居していることは今日決して珍らしいことではなく、それだけの事実をもって遺言の存在を推測せしめる特段の事情ということはできないし、その他右特段の事情に該当する事実を認めるに足りる証拠はない。
三、よって控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当で、控訴人の本件控訴は理由のないものとして棄却する。<以下省略>。
(裁判長裁判官 長谷部茂吉 裁判官 鈴木信次郎 麻上正信)